梅雨明け直前サイクリング で岩淵水門へ【その2】
岩淵水門から赤羽方面にちょっと散策をしたので気が付いたことを書いておきます。
カフェ周辺には昔ながら?の町並みが残っていました。
まずは銭湯発見!【岩の湯】さんです。
まだ開店前でしたが、お風呂屋ののれんがしっかり見えます。
お風呂好きとしてはうれしい発見です。
次回はひとっぷろ浴びましょう!
下のリンクによると、なかなかこだわりの銭湯のようです。
来た道を戻って行くと道沿いに石碑が登場。
道祖神?馬頭観音?的なものでしょうか?
ご存じの方がいましたら教えてください・・・
この道細い路地を思わせますが、この道は、岩槻街道(日光御成街道)?付近でれっきとした昔の街道筋みたいなんです。(旧志茂街道)
さらに岩淵は荒川を渡る手前の街道の宿場町だったそうです。
どおりで、周辺にはお寺や神社がいっぱいあります。
辻稲荷大明神
大國神社
正光寺
梅王寺
そして本日は、せっかくなので岩淵八雲神社にお参りしてみましょう!
岩淵八雲神社は、岩槻街道の東裏、荒川堤防の南側近くに鎮座します。この神社は、江戸時代に徳川将軍が日光東照宮に参詣する際に利用した日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社でした。祭神には須佐之男尊が祀られています。創建年代は不詳ですが、江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」には、「牛頭天王社、宿ノ鎮守トス、正光寺持」とあり、これが「テンノウサマ」として親しまれていたことがわかります。また神仏分離以前には正光寺が別当寺でした。明治6年7月に村社に定められ、それ以来、赤羽八幡神社の兼務社となっています。
境内には、本殿、幣殿・拝殿、神楽殿、末社水神社が配置されています。水神社は舟運業者の信仰を集めた神社です。祠の右側には「寛政12庚申正月吉日」の年紀が刻まれています。また、勝海舟が荒川で足止めされたときに書いたとされる大幟旗も所蔵します。
現在、本殿は、末社水神社の祭礼とおもに隔年ごとの六月第1土曜・日曜に行われています。このとき、氏子たちによって神輿が巡幸されます。
参道の端に「岩淵町、町名存続之碑」があります。昭和37年5月に「住居表示に関する法律」が交付されると、北区も住居表示の変更を進めました。由緒ある岩淵町の名を守るため、岩淵町1丁目の住民は町名存続運動を展開しました。この石碑は、そのときの記憶を未来へと刻むものです。
境内もとても立派で鬱蒼とした木々に囲まれております。
お参りをして、さあ再出発します。
岩淵水門まで戻り、サイクリングロードを北上します。
行きはあんなに気持ちが落ち込んでいたのに、帰りはなんともいえない軽い気持ちになっております。
多分。。。追い風だったからなのかな?
お昼には帰宅できました!
本日の走行距離は30キロ程度とリハビリサイクリングでした。
帰ってみると、愛車はドロドロ(´;ω;`)
近くの公園??に行ってお水を拝借。。
愛車全体に水をかけて久々ジャブジャブに洗車!
久々にストレス解消のサイクリングでした!
この日の出来事はこちらから参照ください!